彼女と黒猫と硝煙と――その2
彼女と黒猫と硝煙との続きです。気が向いたら、お暇でしたらこちらを先にどうぞ
「硝煙臭い」
「もんくはだめ」
あの一生涯の記憶に残るであろう辱めを受けてから一時間後の現在。私はあのまま脇に抱えられて『彼女』の部屋に来ていた。
扉を開いた瞬間に鼻へと貫いてくる火薬の臭い。それに混じってシンナーやサビ臭さ、オイルの独特の匂いが混じり合っていて何とも言えない刺激臭を醸しだしていた。まさしく軍人御用達の部屋で、一世紀前なら男臭いと表現されていてもおかしくはないなんて思える簡素な部屋。
……残念なことに数十年前の世界大戦中に男女平等理論が確立してしまい、男も女も戦争の一道具としてしか扱われなかった。少しでも使える運動神経ならばどんどん戦場へと借り出されていき、老若男女問わず銃を構え、殺し合いをしていた。それでも戦場に平民の比率が高かったのは、貴族を守るための矮小な理由に過ぎない。特に階級が下になればなるほど、女は生み、子供は自我が目覚める5、6歳で戦場へと向かう、その繰り返し。くだらない理由で始まった貴族たちの滑稽なお遊び、チェス盤から駒を落としていくように命を切り捨てていく。そんな戦争が終わったのはちょうど十年前、私が生まれた年の夏だった。
戦争のきっかけは誰も覚えていない。ただ領地を増やせればいい、なんて、お役人が考えた結果の出来事だと伝えられたのだし、結末も当たり前にお粗末なものだった。力こそが正義、負ける者が悪、一世紀以上前から保存されている書物にはおおよそ考えつかない事象。人間というある種の紛いものが生み出した、殺戮と凶器の期間。もちろん、世界大戦が始まる前にもいくつか大規模な戦争は起こっていた……私はあまり聞いたことがないから実際にあったかどうかはわからないけれど……けれどそれは世界大戦に比べれば子供のようなもので、特定の大国が植民地を求めて戦争を行う、程度の認識しかされなくなっていった。しかし、今と昔で決定的に違うことは戦争の目的。昔は植民地、つまり人員や資源を求めての侵攻であり他国を攻めるのにそれ相応の理由があった。だが今回の戦争は娯楽、目的もなければ意味もない、誰かが攻めたから攻め返す、自分の国、チームが勝てばいい。多額のお金を軍という名目上の最高権利者に渡して一般市民を戦争へと狩り出していく……。まさしく貴族たちによる命を使った殺戮ゲームと呼ぶのに相応しい、そんな気さえする戦争だったのだ。
世界大戦以前に起こっていた戦争も、概要は同じようなもの。けれど、決定的に違うのは戦争にむかう大半が成人男性であり、独身が多かったこと。それゆえ、今目の前にしている『彼女』の部屋は、資料館にでもありそうな一世紀以上前の男性の部屋に似ている、のかもしれない。
「てきとうにくつろいでいてね」
そういった『彼女』は、水の入ったヤカンをコンロの上にのせて火を付けていた。手慣れた動作でキッチン周りを片付けながら鼻歌を口ずさんでいる。
「…………ふぅ」
私は少々古くなっているソファーに腰をかけて、リビングから見える『彼女』の背中を見ながらちょっとだけ考えてみる。
ここからは私の推測だけど、『彼女』も世界大戦を経験した一被害者だと思う。それも軍隊に所属していて、なにかのきっかけで右腕を負傷、そのままでは使い物にならないので軍の命令で義手を装着、そして終結、現在に至る……とか。
……そしたら『彼女』は今何歳なのだろう? いくら男女平等理論が成立したとはいえ女性が戦場に行くのは最低でも二桁、十歳以上だった気がする。右腕を戦場に行ってすぐ失ったと仮定しても二十歳、けれど、当初で義手にしてしまったら成長の過程で必ず何回か交換の必要性がでてくる……でも戦争が終結している今、人形師みたいな人がいる訳でもない。ということは、少なくとも『彼女』は成人、またはそれに近い成長段階で右腕を失ったことになる訳で、それはつまり戦争の終結間近、それから十年経っているということは……三十歳前半……? それって、オバ――
すると次の瞬間、
――バチンッ――
「ぉぅふ!」
ヒュッという風切り音と共に私のおでこに目に見えないなにかがクリーンヒットを放った。
「ぃッっったーーー!」
「わたしはくつろいでいてっていった。だめだよ、かんがえごとしてたら」
お盆を右手に持ちながら左手の中指と親指で○を作りながら、ぴしぴしと弾いている。つまり、いわゆるその、デコピンというものを私のおでこは喰らった訳ですね。……痛いよぉ。
「くつろいでいてっていった、わたしは」
片手にお盆、その上にコーヒーカップを二つ乗せて『彼女』は頬を膨らませながら私を睨んでいた。睨むというよりはいじけているような表情といったほうが近い表現かも。
「…………う」
「…………」
「ごめんなさい」
「よろしい」
その言葉を聞いた『彼女』は満足そうにうなずいて、私の隣に腰をかけてくる。そして、目の前のテーブルに右手に持っていたお盆をのせると、上に乗っていた二つの内一つのコーヒーカップを私の方へと差し出す。
「ん」
「……あ、ありがと」
差し出されたコーヒーカップを受け取り、ほんのりと湯気の立ち上っているカップに口をつける。私の年齢を知っている上での気遣いなのか、コーヒーにはミルクと多分普段より大目の砂糖を使っている、そんな気がした。一口含み私は初めての「大人の飲み物」であるコーヒーを舌でゆっくりと味わう。高級な豆を使ってるとか、インスタントとかまではわからないけれど、鼻から香る渋みのある香りと舌に絡んでくる濃厚なミルクと砂糖、それにシロップ。……ん? それはおかしい。なんでコーヒーの味がしないのだろう、という疑問が浮かんでくるのは今までにコーヒーを飲んだことがない私でもわかるぐらいにおかしかったから。コーヒーの色合いにも相似るような苦味、ではなくて、しつこくまとわりつく甘さを超えた糖分。
「ぶっーーーー!」
「うひゃあぁ」
勢いよく私の口から飛び出したコーヒーは、霧状となって『彼女』の部屋に霧散していく。その一粒一粒が蛍光灯に反射して綺麗な虹……まではできなかったけれど、吹いた量の半分以上は正面にいた『彼女』の顔面へと付着していった。
「こーひーくさいよ」
「こんなまずいもの飲めるわけないでしょ!」
「ふぇ」
甘い、なんというか甘すぎる。激甘でまずい。こんなもん飲めるか!
「そうかなぁ? おいしいとおもうけど」
顔に付着したコーヒーの粒を気にもしないで、『彼女』は自分のコーヒーを飲んでいる。それはそれは幸せそうに……。っていうか、ありえないでしょ……こんなの砂糖を溶かしたお湯に近いじゃん。
「おいしかったー」と喜ぶ『彼女』を横目に、こんなのを飲んでいるからちょっとおかしいのかな、なんてことを考えてしまった私がいる。
「よごれちゃったし、ついでにおふろもはいろうか」
コーヒーを全て飲みきった『彼女』はソファーから立ち上がり、服を脱ぎ始める。
「…………っ」
そのままの足取りで寝室と思える部屋に入っていき、タオルと着替え(私の分も)を持って戻ってきた。
「きみも、どう?」
目の前に伸びる右腕に一瞬だけ躊躇した私だったけど、ここは『彼女』の好意に甘えることにしよう。聞きたいこともたくさんあるから……。
――その身体に刻まれた生々しい傷跡の理由を……
続く――
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